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民法608条(賃借人による費用の償還請求)

【解説】

1.必要費の償還請求権(第1項)

賃貸人は賃借人に対して目的物を使用及び収益させる義務を負います(601条)。そこから、賃貸人には目的物の修繕義務がありますが、賃借人が賃借物に何らかの費用を支出した場合に、それを賃貸人に請求できるか、という問題があります。これが、賃借人による費用の償還請求の問題です。

この問題は、賃借人がかけた費用の性質を分けて考えます。まず、賃借人が、賃借物について賃貸人の負担に属する「必要費」を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができます。

この「必要費」というのは、賃借人が使用収益するのに必要な費用のことです。

たとえば、建物の賃貸借で、その建物で雨漏りが生じたとします。雨漏りをそのままにしておけば、家を使用することができません。つまり、使用収益に必要な費用です。このようなときは、貸主は使用収益させる義務があるので、雨漏りの修繕をする義務があります。したがって、雨漏りが起これば、借主は、貸主に連絡して、「この雨漏りを直して下さい。」と言いに行けばいいわけです。貸主には、修繕義務があるので、貸主がこの義務を果たして修繕してくれれば一件落着です。必要費の償還請求の問題は生じません。

ただ、雨漏りのような場合は、緊急を要します。家主に連絡したが、今旅行中でしばらく帰ってこない、というような場合は、とりあえず借主は、費用を立て替えて自分で修繕する必要がある場合もあるでしょう。

そういう場合は、借主が自分で修繕して、その費用を後で家主に請求するしかありません。必要費の償還請求というのは、こういう場合です。

本条第1項で「賃貸人の負担に属する」必要費、という表現が出てきたと思いますが、そういう意味です。

この必要費というのは、賃貸人に請求できるわけですが、「直ちに」その「全額」の償還を請求することができるという点がポイントです。この「直ちに」という点と、「全額」という点を覚えておいて下さい。有益費の償還請求との違いになります。

【必要費の具体例】
・家屋の水道が壊れた場合の修理費
・賃借家屋の屋根葺替え
・土台入替え工事費用(大判大正14.10.5)
・雨漏りを防ぐための屋根の補強、塗装の費用(札幌地判昭和54.2.6)
・近隣の土地の地盛りのため雨水が停滞するため、土地賃借人が地盛りをした費用は必要費に含む(大判昭和12.11.16)。
・都市ガス引込み、浴室工事等の費用は必要費に含まれない(札幌地判昭和54.2.6)

2.有益費の償還請求権(第2項)

(1) 総論

賃借人が賃貸物にかけた費用として、有益費というのが問題になります。

この「有益費」とは、必要費のように、使用収益に絶対に必要ではないが、その費用をかけたことにより建物の価値が上がるようなものをいいます。たとえば、汲取り式のトイレを水洗式にしたとします。別に汲取り式のトイレでも住めます。したがって、家主はトイレを水洗式にする義務はありません。借主が、自分がそうしたいからということで、水洗式に変えただけです。

借主は、この費用を家主に請求できるでしょうか?一見、借主が自分でやったことで、そんな費用を家主が支払う必要はない、と思う人が多いかもしれません。

しかし、これが請求できるんです。理由は、有益費というのは、先ほど「建物の価値が上がる」ものだと書きました。賃貸物というのは、賃貸借契約が終了すれば、賃貸人の手元に戻ってきます。貸したときには、汲取り式のトイレだったものが、賃貸借が終了して戻ってきたときには、きれいな水洗式のトイレとして戻ってきます。家主は、今度は水洗式のトイレのある部屋として別の人に貸せるわけですよね。

つまり、借主が有益費をかけることによって、貸主も得をしている。逆に言うと、家主が得をしないような建物の価値を上げないようなものは、そもそも「有益」費として認められません。したがって、この有益費を借主は、貸主に対して償還請求できるわけです。

なお、この有益費と造作の違いについては借地借家法33条参照

【有益費の具体例】
・盛土
・石垣の築造
・下水及び道路開設等の費用(東京控判大正7.3.16)
・上水道の敷設(東京地判昭和43.4.19)
・賃借店舗の表入口の修繕工事費
・店頭雨戸新調費(大判昭和7.12.9)
・賃貸人の承諾を得たうえでの増改築費用(大判昭和10.4.1)
・飲食店営業用建物におけるカウンターの修理、便所の改造、流し台の増設改良(東京地判昭和46.3.31)

【非該当】
・借地上の井戸の掘削又は掘下げにより井水を湧出させた費用は含まれない(大判昭和10.12.28) ∵物の価格の増加が認められない
・賃借人が自己の営業のためになした賃借家屋の模様替えの費用は含まれない(大判昭和8.5.13) ∵物の価格の増加が認められない
・荒蕪状の土地について、雑草を除草し、畑地としての面目を改めた場合、有益費とは認めなかった ∵除草のための労力は賃借人が賃借の目的を達成するために当然なさなければならないこと(大判大正9.10.16)

(2) 要件

ただ、この有益費の償還請求については、注意してもらいたいことがあります。それは、賃借人が賃借物について有益費を支出したときは、賃借人は、「賃貸借の終了の時」に、その「価格の増加が現存する場合に限り」、「賃貸人の選択」に従い、その「支出した金額又は増価額」の償還を請求することができる、ということです。今、「」をつけた部分が重要なわけですが、一つ一つ見ていきましょう。

まず、有益費の償還請求ができるのは、「賃貸借の終了の時」です。借主が有益費の償還請求をできる根拠は、貸主も利益を受けているからです。それならば、有益費の償還請求ができる時期は、貸主が利益を受けることができる時期、つまり「賃貸借の終了の時」になるわけです。この点が、必要費と違う点です。必要費は、「直ちに」請求できました。これは賃貸借期間中でも、すぐに請求できるということです。

次に、有益費の償還請求ができるのは、「価格の増加が現存する場合に限り」ます。有益費をかけても、時間が経てば経つほど、その価値は減少していきます。水洗式のトイレも最初はきれいですが、時間が経てば、キズも付いてくるわけです。ただ、家主が利益を受けるのは、賃貸物が家主の手元に戻ってきたときです。家主の手元に戻ってきたときに、かけた有益費の価値がなくなっているのに、家主が有益費の償還請求に応じる必要はありません。

次に、「賃貸人の選択」に従い、その「支出した金額又は増価額」を償還させることができる、という点です。有益費の償還請求ができる金額ですが、これは今までの説明で分かる通り、家主が利益を受ける限度の金額ということです。「支出した金額」と「(価値の)増加額」を比較すると、通常は「増加額」の方が低くなると思います。20万円(支出した金額)かけて水洗式にしたが、時間が経って現在は10万円(増加額)くらいの価値しかないというのが普通だからです。この場合、家主は10万円支払えばいい、ということになります。この点も、必要費と異なります。必要費は、「全額」でした。このとき、この「支出した金額」か「増加額」かの選択権は、家主にあるという点も確認しておいて下さい。

(3)賃貸人の交代と有益費償還請求の相手方

賃貸人が目的物を譲渡して賃貸人が交代した場合、賃借人は新旧どちらの賃貸人に対して有益費償還請求を行使すべきでしょうか。

判例は、新賃貸人に対して請求すべきで、旧賃貸人に対しては請求できないとしていました(最判昭和46.2.19)。この点については、令和2年の民法改正により立法により解決され、この判例が明文化されています(605条の2第4項)。