宅建 過去問解説 平成17年 問16
【じっくり解説】
本問に関係する不動産登記法の条文は第63条1項で、以下のようなものです。条文の引用があって、表現的にはややこしいので、試験で使われるような形の文章に直してあります。
「共同申請の規定にかかわらず、これらの規定により申請を共同してしなければならない者の一方に登記手続をすべきことを命ずる確定判決による登記は、当該申請を共同してしなければならない者の他方が単独で申請することができる。」
この最初の部分が、問題文では「登記の申請を共同してしなければならない者」というふうにさらに簡略化されているだけで、後は条文と全く同じ文章で、したがって、正解は「正しい」ということになります。
内容的には、登記の申請は、原則として共同申請主義が取られているが、例外的に単独で登記申請できる場合があり、その一つとして本問の判決による登記があるということになります。
これは、普通に勉強している人にとっては、基本的な知識だと思います。
しかし、本問では、条文の表現そのままで出題されているため、「当該申請を共同してしなければならない者の他方」などという表現だと、「それでいいのかな?」と疑心暗鬼になる人もいたのではないかと思います。
ということで、第63条1項の解説をしますと、まず、共同申請主義→判決による登記は単独申請可能という話の流れはご存じだと思いますが、念のため簡単に説明します。
そもそも、共同申請主義は、登記義務者も登記手続に協力させることによって虚偽の登記を防ぐためなので、申請された登記が、正しいということがはっきりしていれば、共同申請する必要はありません。そこで、判決による登記は、裁判所が裁判で認定しているから登記権利者が単独で申請できるということです。
そして、この条文の意味ですが、これについては法改正があって、以前は、第2項も含めて「判決又ハ相続ニ因ル登記ハ登記権利者ノミニテ之ヲ申請スルコトヲ得」(旧法27条)という非常にシンプルなものでした。
旧法では、判決による場合も、相続による場合も、「登記権利者」が単独で申請できると表現されており、現行法63条2項(相続の場合も単独申請できるという条文)も「登記権利者が単独で申請することができる」というふうに旧法と同じ表現を使っています。
しかし、第1項は「申請を共同してしなければならない者の一方に登記手続をすべきことを命ずる確定判決による登記は、当該申請を共同してしなければならない者の他方が単独で申請することができる」という、分かったような分からないような表現になっています。
実は、第1項がこのような表現に変わったのには意味があります。
たとえば、ごく通常の場合として、A→B売買契約の有効・無効が争われている裁判で、売買が有効で、Aに引渡しを命ずる判決があったとします。
これを前提に第1項の条文を読みますと、「申請を共同してしなければならない者」(AとB)の一方(A)に登記手続をすべきことを命ずる確定判決による登記は、当該「申請を共同してしなければならない者」(AとB)の他方(B、登記権利者)が単独で申請することができる、となります。
これだけならば、旧法と同様、登記権利者(B)が単独で申請できると表現すれば十分です。
しかし、たとえばA→B売買契約で、この売買契約が有効であることを前提に、A(売主)がB(買主)に対して登記を引き取って欲しいという訴訟もあります。これを登記引取請求訴訟といいます。
売主にとってみれば、どうせ売買契約は有効で、自分のものではない以上、いつまでも売主名義の登記のままでは、売主に固定資産税が課せられたり、登記名義人であるということに伴う煩わしさというのもあります。
そこで、買主に対して、早く登記名義を買主に移転してくれ!というのが、登記引取請求訴訟です。
この場合は、売主(登記義務者)が買主(登記権利者)に対して、登記を引き取ってくれと請求しているわけで、裁判で売主が勝つと登記義務者が単独で登記申請できます。
これを第1項の条文で表現すると、「申請を共同してしなければならない者」(AとB)の一方(B)に登記手続をすべきことを命ずる確定判決による登記は、当該「申請を共同してしなければならない者」(AとB)の他方(A、登記義務者)が単独で申請することができる、となります。
つまり、第1項は、このどちらの場合も含みうる表現になっているわけです。
旧法では典型的な場合のみしか表現しきれていなかったので、新法では登記引取請求訴訟の場合も単独で申請できることを明らかにする趣旨があったわけです。
このように条文が正確(複雑?)になったおかげで、その条文を使った「問題」は難解になっています。
本日解説したような正確な理解は、宅建では不要かもしれませんが、最初の典型的な例(登記引取請求訴訟ではない方)を頭に思い浮かべた上で、条文を読んでおけば、不必要に考え過ぎることもないので、それでいいのではないでしょうか。